日本代表でリヴァプールFC史上初のアジア人選手とされている“南野拓実”選手は2022年のW杯でも技術やフィジカル面、スピードでも注目されそうですが、高校や中学でも優秀な成績を残してきたとか。
どんな高校・中学時代を過ごしていたのか気になりますが、何やら過去にキレたことがあったらしい!? しかも中学から気が強かった噂も?
どんな学生時代を送っていたのかみていきましょう♪
南野拓実は興国高校時代にキレた?中学は気が強く得点王だった!
こんな内容で調べてみました。
南野拓実は興国高校時代にキレた?
キレた、と聞くと何か問題を起こしたのでは?と思ってしまうけど思っているような内容ではなかったですね。
強い口調で反論したことがある
2019年1月13日に週刊プライムにその内容が詳しく書かれていました。
メンタルの強さは10代から。
当時所属していたセレッソ大阪の試合で南野がシュートをはずした際、 パスをもらえなかったチームメートの外国人選手が南野に対して激高すると、南野は強い口調で反論。 当時、彼は19歳だった。
「“うっさいんじゃ、ボケ!”と言ったと物議を醸しましたが、言わないほうがおかしいなって思ってます。 日本の選手って言われて黙っている選手が多いんですよ。 あそこまで闘志むき出しで反論したことは、海外でもやっていけるなって思った瞬間であり、うれしかったですね」 (サッカーライターの安藤隆人氏のコメント)
※週刊プライムより
サッカーのときはかなり気迫があるし、一生懸命。
とげとげしさも感じるけど、これが問題になったわけではありません。
サッカー界では言われてることみたいだし、FW気質が強かったり頑固な面は高校だけでなく中学でも既にみせていたようだし、高校・中学でのサッカーの経歴も凄いと感じるものばかりでした!
興国高校時代の経歴
南野選手は古くからスポーツが盛んでボクシングやサッカーも強豪校の興国高校にいました。
1年からレギュラープリンスリーグ関西1位で優勝、2年のJリーグユース選手権は8試合で13得点で得点王に!!
しかも高校卒業後は大学に進学せず、トップチームに昇格しJリーグベストヤングプレーヤーを受賞、 天皇杯では初得点も記録されたそうです!
ザルツブルクからリバプールへの移籍が決まった南野拓実。
まだ高3だった2012年の天皇杯清水戦でトップチーム初ゴールを決めて、翌年のマンチェスターユナイテッドとの親善試合でゴールを決めてリオ・ファーディナンドを驚かせた若武者がサッカーの母国イングランドでどんな活躍を見せるか楽しみや。 pic.twitter.com/KjA1cOc18U— ファンタジスタ・シンジ (@shinji826) December 19, 2019
南野拓実は中学は気が強く得点王だった!
高校だけでもこれだけの経歴をもっていますが、中学でもかなり成績が凄かったこともわかっています!
中学から気は強かった!
南野選手は小学校3年生からゼッセル熊取と併用で、週2回サッカー塾の「クーバー・コーチング・サッカースクール」に通っていたこともあり、地元泉佐野市公立校の第三中学校に進学後、スカウトを受けていたセレッソ大阪U-15に入団。
最初はそこまでサッカーが上手いわけではなかったそう。
でも、気が強く頑固さは粘り強さにもなり、中学2年から身長も伸びて体格もデカくなり、サッカーも各段に向上していったとか!
中学でも得点王に!
中3にはチーム-15の全日本クラブユースサッカー選手として出場し、チームをベスト8にまで牽引して得点王になりました!
中学入学と同時にセレッソ大阪U15に入団しましたが、この時、南野選手に対して多くのJクラブが獲得オファーを出していたこともあって、やはり実力や技術などの今後の伸びしろを見越していたチームも多かったんだろうな。
これからも無限の可能性を広げていってほしいなと思います!
【南野拓実は興国高校時代にキレた?中学は気が強く得点王だった!】まとめ
●日本代表でリヴァプールFC史上初のアジア人選手とされている“南野拓実”選手は確かに19歳で“うっさいんじゃ、ボケ!”と言ったことはあるが、言わない方がおかしな状況だったそう。
●高校は興国高校。セレッソ大阪のユースで得点王に。地元泉佐野市公立校の第三中学校でもチーム-15の全日本クラブユースサッカー選手として出場し、チームをベスト8にまで牽引して得点王になっている。
●気が強くて頑固な面はある。