連続テレビ小説『ちむどんどん』でヒロイン・暢子の母、
優子役を仲間由紀恵さんが演じていますが、2話のラストで泣いていました。
東京から転校してきた青柳和彦の父・史彦から戦時中の話を聞き、
那覇空港でのことを思い出したかのような流れでしたがどんな人物なのでしょうか?
家族やご近所さんの間では優しくて人が良い優子さん。
【ちむどんどんの優子モデルは誰?那覇のお嬢様だった?】
としてどんな人生を送ってきたのか?モデルになった人物はいるのか?
調べてみました!
ちむどんどんの優子モデルは誰?
優子さんの人柄はおおらかで明るく困った人を見ると放ってはおけない性格。
素敵な母親ですが、「人が良すぎるから今に騙される」とか、
子供たちにおにぎりをあげた時も厳しく賢吉(暢子たちの親戚)に言われていました💦
4人の子供を育てながら家の事もし、子育てもされている理想の母に感じますが、
優子さんのモデルは恐らくいないかと思われます。
ちむどんどん自体、オリジナル作品でモデルになった人物などは
ヒロイン・暢子と父親の賢三さんについても書いていますが。
人物像だけはあって、後は演じる方がどう消化し演じていくのか?
自分なりに演じられているのかとは思います。
仲間さんの演技には魅かれるし、母親役にはピッタリだと思いますね!
優子の過去は?
2話では、那覇で暮らしていて19年の空襲で家族を失ったことは出てきましたね。
でも、天涯孤独になったのか、両親だけ失ったのかははっきりしていない。
悪まで考察になりますが戦時中、かなり辛い思いをされてきたんだと思います。
ウージ畑に米軍機の騒音らしきもの、家族が抱えている借金
今、無理をしている優子には、沖縄戦の辛い記憶が刻まれ思い出してしまったのでしょう。
子供たちの前では一切見せない辛さや泣き顔はこれまでにも何度も、
賢三(暢子の父)の前ではみせてきたのかもしれません。
今のお人よしの性格も、戦時中の経験がそうさせてしまったのかも。
沖縄などの弦楽器・三線(さんしん)の演奏を、
父親役の大森南朋さんが披露されたことも印象に残りました。
戦争を風化させてはいけない、
間接的に当時の沖縄を伝えようとしているようにも感じた2話でしたね。
ちむどんどんの優子は那覇のお嬢様だった?
優子が「首里城は何度か親に連れて行かれて。
うち、実家、那覇なんです。(昭和19年の空襲で?)はい」というセリフもありましたが。
ここから連想されるものって、もしかしたらお金持ちのお嬢様だったのかな?
というところ。はっきりはしていません。
自分たちのおかずを全て、
裕福ではない豆腐屋の砂川智にあげてしまったという描写だったり、
ちょっと世間とはずれてる?と感じるような部分も育ちがよかったせいかもしれません。
他にも過去を考察されている意見はありました。
那覇での出来事が優子の性格を形成したのかな。
常に戦闘機の轟音が響く回だったな…。— taepon (@taenoyu) April 11, 2022
まだ戦争の傷が生々しい頃なんだよね
優子さんは食べられなかった事に大きく傷ついたことがあったんだろうか戦争ダメ。もうしないで。
今も、これからも。#ちむどんどん— ミョウユウ (@myoyu0108) April 11, 2022
優子のお人好しすぎると危惧される優しさは、戦争で家を焼かれたことに繋がっているのかな…。昔の自分を見ているようで、手を差し伸べられずにいられない的な。。 #ちむどんどん
— soco (@a_a000l) April 11, 2022
また優子さんについては物語が進むにつれ、徐々に何かわかるかもしれません。
でも、逆に子供たちが過去を知って、暢子が食べ物は大事にしないといけない、
もっと食で沢山の人を幸せにしたい!という展開もありかと。
どうしても戦争の話は避けて通れない回にはなりましたが、
優子の涙がとても印象的な回でした。
ちむどんどんの優子モデルは誰?那覇のお嬢様だった?まとめ
●ちむどんどんの優子のモデルは恐らくいない。
ちむどんどんがオリジナル作品ということもあり、キャストのモデルもいないと思えた。
●2話で戦時中の沖縄の話が出て、優子は家族を亡くしていることや
辛い思いをしてきたことなどが、ラストの優子の涙のシーンで伝わってきた。
過去は詳しくは明かにされていないが、
優子の人柄は戦前に裕福な家庭で育ってきたようにも感じるものだった。