十三人の合議制を解説!鎌倉殿の13人とは誰のことを指すのか?

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2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のタイトルをみて、
あれ?13人って誰の事?ってそろそろ思い始めている人多いかと思います。

 

鎌倉殿は鎌倉幕府の将軍のことですが、
当時、将軍には13人の御家人たちがいて政治を助けたとされており、
鎌倉時代の背景にもなっています。

 

そこでこの記事では
【十三人の合議制を解説!鎌倉殿の13人とは誰のことを指すのか?】
こんな内容で鎌倉殿の13人が誰を指すのかも分かりやすくまとめてみました!

 

 

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鎌倉殿の13人の十三人の合議制を解説!

『鎌倉殿の13人』含むキャストや人物像については
こちらを参考にしてもらえれば更にドラマを深堀りできるかと思いますが♬

 

まず、「鎌倉殿の13人」の重臣たちの話し合い(合議制)にも
触れておきますね。

 

 

十三人の合議制とは?

『鎌倉殿』とは鎌倉にいる武家の棟梁のことで
鎌倉を本拠地にした源氏の棟梁が鎌倉殿と呼ばれているみたい。

 

後に、鎌倉殿=鎌倉の征夷大将軍を意味するようになり、
源頼朝の後継者とされます。
これを補佐するため、話し合いで政治が進められるんですが、
俗に十三人の合議制と言われるもので
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の死後から始まりました。

この頃、後継者になった2代将軍・源頼家は18歳。
頼家はまだ若く政治の経験も浅いので
最初は源頼家と側近の大江広元たちが決めることに。

 

でも、13人が全員揃って会議に参加することは殆どなく
「十三人の合議制」はすぐに崩壊したとか・・・

 

ちけぞぅ
結局13人が決まったけど、
権力争いやら様々な理由で脱落者が続出して崩壊。

 

源氏将軍が3代で途絶えてしまいます。

 

 

十三人の合議制のその後は?

その後、公家出身の摂家将軍・藤原頼経が鎌倉殿になり、
新たに鎌倉殿を支える「評定衆(ひょうじょうしゅう)」が作られ、
鎌倉殿を補佐する役割は評定衆に受け継がれました。

 

鎌倉時代後半になると北条得宗家が力をもち、
評定衆の力は弱まり形だけのものに。

 

十三人の合議制って物凄く短命だったけど、
武士の時代は約700年続いたって考えたらやっぱり歴史的には
凄い時代を築いたんですよね。
その間に様々な組織ができたり、武士が政治を行うためにも、
将軍を補佐する組織のはじまりとして「十三人の合議制」は
重要なしくみだったのかもしれません。

 

ドラマに関連しているこちらの書籍もおススメです♪

北条氏が幕府の主導権を握り、
承久の乱に勝利するまでの過程について詳しく解説されていますよ♪

 

 

 

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鎌倉殿の13人とは誰のことを指すのか?

具体的には以下の13名が『鎌倉殿の13人』を指します。

●北条氏(北条時政、北条義時)
●企氏または縁近いもの(比企能員、安達盛長)
●三浦氏とその一族(三浦義澄、和田義盛)
●有力武士(八田知家、足立遠元、梶原景時)
●実務官僚(大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政)

 

このメンバーをみて、ピン!と来た人はいるかもしれませんが、
頼朝と縁近い御家人の名前ばかりなんですよね。

 

ちけぞぅ
特に、頼朝の妻・政子の実家である北条氏、
頼朝の乳母・比企尼の嫁ぎ先である比企氏、
そして三浦一族などが特徴的!

 

更に、梶原景時は頼朝側近筆頭と言われた功労者で、
大江広元らも幕府の運営に欠かせない人物。

北条氏は最終的に幕府の主導権を握ってしまうので
かなり立場も大きかったと感じますね!

 

 

 

 

 

十三人の合議制を解説!鎌倉殿の13人とは誰のことを指すのか?まとめ

●鎌倉殿の13人とは
北条氏(北条時政、北条義時)
企氏または縁近いもの(比企能員、安達盛長)
三浦氏とその一族(三浦義澄、和田義盛)
有力武士(八田知家、足立遠元、梶原景時)
実務官僚(大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政)。
頼朝と縁近い御家人ばかりの名前が並ぶ。

●キャストは文中関連記事を参考に。
源頼朝の後継者を補佐するため、
話し合いで政治が進められた組織が『十三人の合議制』。
短命だったが、武士が政治を行うためにも、
将軍を補佐する組織のはじまりとして「十三人の合議制」は
重要なしくみだったのかもしれないと感じた。

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