重定知佳の出身中学と折尾高校での戦績は?テニスの経歴も!

アーチェリー

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東京パラリンピック2020
アーチェリー女子個人リカーブ
オープンランキングラウンドの
予選から“重定知佳”選手が
出場されます!

 

 

重定知佳選手は難病・
HTLV-1関連脊髄症で車椅子の
アーチェリー選手。

今回は出身中学と折尾高校での戦績、
テニスをされていたので経歴も
調べてみました!

 

 

ここでチェック!
★重定知佳の出身中学と折尾高校での
戦績は?テニスの経歴も!

 

としてまとめていきます。

 

 

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重定知佳の出身中学と
折尾高校での戦績は?

 

 

重定知佳選手は
『HTLV-1関連脊髄症』という難病で、
両足が麻痺しています。

中学2年で足を引きずって歩く
ような症状が出て、徐々に
歩けなくなりました。

 

 

既に中学で、アーチェリーを
されていたんでしょうか?

 

 

重定知佳の出身中学は?

重定選手は
1997年1月31日生まれの若松区出身。

二島小・中学校を卒業されています。

 

 

中学ではアーチェリーの経験は
全くなく、幼少期からかなりの
人見知りだったそうで
スポーツ自体、していなかったみたい。

車椅子に乗るようになったのも、
社会人になってからなので、
学生時代はアーチェリーの
戦績などは残っていません。

 

 

重定知佳の折尾高校での
生活は?

中学を卒業され、
折尾高校に進学された重定選手は
パソコン関係を学び
資格を多く取ろうと考えていたので、
高校ではパソコンの勉強をかなり
されていたとか。

 

 

ここまでスポーツには無縁のように
感じますが、就職先で出逢った
テニスに暫くのめり込むことになります♪

 

ちけぞぅ
テニスをしていたのは意外ですね!

 

 

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重定知佳のテニスの経歴も!

 

大学には進学せず、
そのまま企業に就職し、そこで
会社の方にスポーツをしようと
誘われ、車いすテニスを始めることに。

 

 

最初は戸惑っていたけど、
慣れていく内にテニスの面白さや
試合で勝つことの喜びに
ハマっていったのでしょうね。

負けず嫌いな性格もあってか、
相当練習もされたようで、
試合に勝つことも次第に増えて
いったとのこと!

 

車椅子テニスは11年間もプレー!

かなり夢中に!

でも辞めてしまう・・・
なぜ辞めてしまったのか??

 

元々負けず嫌いの性格と
日本ランキング6位!という所まで
のぼりつめたものの、
新人選手に抜かれ、
自信をなくしたからテニスを
辞めることに。

 

 

当時勤めていた会社の理解も得られず、
海外遠征に行ける見込みもない。
新人の選手にもすぐに負けて
しまうようになると、
好きだったテニスが楽しくなくなって
しまったとか。

こんな状態で試合に出るのは
対戦相手にも失礼だと、
11年間続けた車いすテニスを
きっぱりやめたそうです。

 

 

アーチェリーでは
リカーブ女子一位に!

その後、『パラアーチェリー』の
存在を知り、
『全国障がい者スポーツ大会』に
出場した重定知佳選手は、
リオパラリンピックで7位に入賞した
上山友裕選手と出会い、
本格的に
アーチェリーに取り組むことに。

 

 

アスリート雇用をしてくれる
自動車部品会社『林テレンプ』に転職
したこともあり、
ぐっと練習時間も増え、
打ち込むことができました!

 

 

アーチェリーでの戦績は
こちら!

★2019年
●第48回全国障害者アーチェリー
選手権大会リカーブ女子 1位

●第5回JPAF杯パラアーチェリー
トーナメント大会リカーブ女子 1位

●第3回パラアーチェリーアジア
選手権大会リカーブ女子 1位

 

 

競技歴わずか2年で国内
ランキング1位に輝き、
インドネシア2018アジアパラ
競技大会ではミックス戦で銀メダル獲得

2019年6月の世界選手権では
東京パラリンピックに内定
しているので、今後の
活躍にも期待されています!

 

 

アーチェリーをしようと
声をかけた上山友裕選手とも、
パラリンピックの混合団体リカーブ
オープンランキングラウンドに
出場されるので、
2019年アジア選手権ミックス銀のペア
として、素晴らしいプレーを
されてほしいと思いました!

 

 

重定知佳の出身中学と折尾高校
での戦績は?テニスの経歴も!の
まとめ

 

●重定知佳は
競技歴わずか2年で国内
ランキング1位に輝き、
インドネシア2018アジアパラ
競技大会ではミックス戦で
銀メダルを獲得した選手。

●中学は二島中学校で
折尾高校ではパソコンを学んでいたが、
アーチェリーを始めたのは
社会人になってから

●テニスは11年間続けていたが、
段々と試合に勝てなくなり、
新人選手にも抜かされ、
辞めることになった。
全盛期は日本ランキング6位まで
のぼりつめた

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