わろてんかのモデル・吉本せいの生涯と人柄は?山口組の関係を調べた!

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アイキャッチ画像葵わかな 

10月2日スタートの
NHK連続テレビ小説「わろてんか」
(月~土曜前8・00)のヒロインに決まった
「葵わかな」さん。

 

 

藤岡てん(葵わかな)のモデルになっているのが、
吉本興業の創業者・「吉本せい」さんという方で、
かなり劇的な人生を送られたそうなんです!

 

 

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17歳から50歳前後までを藤岡てんとして
葵さんが演じきれるのかも気になりますし、

笑いをテーマにした作品のようなので、
関西人としては、尚更興味も出てきます!

 

 

今回は、モデルの吉本せいさんについて

わろてんかのモデル・吉本せいの生涯と人柄は?
山口組の関係を調べた!

ということを書いていきたいと思います。

 

 

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わろてんかのモデル・吉本せいの生涯と人柄は?

 

吉本せいさん(1889-1950)は
大正・昭和期の興行師で吉本興業創業者になります。

興行師とは、簡単にいうと
演芸やコンサート、イベントなどの
興行を開催することを職業としている人のことで、

せいさんは

お笑いの総本山ともいえる「吉本興業」の
基盤をつくり、
“女今太閤”“女小林一三”と呼ばれたそうです。

 

 

吉本せい

     吉本せい
生誕 1889年12月5日
兵庫県明石市
死没 1950年3月14日(60歳)
職業 吉本興業創業者、芸能プロモーター
配偶者 吉本吉兵衛

 

 

明治40年、夫の吉本吉兵衛の芸人道楽で散財し、
寄席を商売にしたら仕事に精出すかもしれない、
と吉兵衛のことを思い、
実家に資金援助を頼んでの寄席がきっかけで、
成功を収めていく。

若い時のせいさんはかなりべっぴんだったようなので、
極道と共存共栄する興行界で、
癖のある男性たちと渡り合ったそう。

夫が他界したのち、
弟の林正之助と弘高の支えもあり、
事業を拡大、
安さでお客を呼び込み、寄席のチェーン化、
昭和7年吉本興業合名会社を設立。
社長に就任後、東京、京都、横浜にも進出し、
寄席は47軒となります。

 

 

こんな歴史が吉本にあったなんて、
全く知りませんでした!

苦労が絶えない人生だったかもしれないけれど、
その裏には、いつも笑いがあったんだなと
思います。

 

 

大阪のシンボルである
通天閣を買収したのもせいさんだったことにも
びっくり!

 

 

そんなこともあって、
男勝りの勝気な人柄で、かつ、
芸人のこころをがっちり掴むせいさんだったから、
今の吉本があるんじゃないかと
思いますね。

ドラマの展開が楽しみになってきました!

 

 

山口組の関係を調べた!

 

少し、深くなりますが
せいさんと山口組が同じ時期の関西で興ったことは
隠せない事実だそうです。

 

 

同じ関西圏で勢力を伸ばしていたせいさんに、
山口組が寄席を依頼することが増え、
関係は近くなります。

昭和期には、
吉本興行は東京に進出を図るため、
浅草で人気を博していた
広沢虎造を吉本の専属にしようと考えた、せいさん。

 

 

山口組2代目組長の山口登に相談し、
広沢は吉本の専属になったそうです。

その後は、
無断で他の組の映画に出演した広沢に
腹を立てた吉本側が
山口組に話を付けるように言った…ということも
言われています。

 

 

親密な関係があり、
もしかしたら、今でも関係性があるのではないかと
感じてしまう歴史ですよね・・・。

笑いはすべてを味方にしてしまうのでしょうか?

 

 

ドラマでの葵わかなさんが
どのように演じていくのかも、
非常に楽しみなところですよね!

期待しています!

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